海賊と呼ばれた男

「日章丸だ」
鐵造が呟くように言った
「日章丸をアバダンに送る」
……彼は今、国岡鐵造という一代の傑物の、
生涯で最も美しい決断の瞬間を見た、と思った

海賊とよばれた男 上

海賊とよばれた男 上

私はこの作品を、講義中に読みました。
折しもクリスマス、上下巻で構成された下巻の後半です。
黒板を前にした先生のお声が知らぬ間に遠くなっていき、狭い机を分け合うように座っていた友人たちの間で、私はひっそりと眼鏡を外し、熱い何かが零れないよう袖で目じりを拭いました。

恥ずかしい。
その気持ちが、徐々に胸の内に広がりました。
仲の良い学友たちの前で涙した事、これほどの本を一人で静かに触れられなかった事、日頃注意している感情のコントロールすら手放してしまった事。
その項目の中に、大切なお話をされていたであろう教授の講義を聞き流してしまった事が含まれていない私は、すこしいけない子です。

でも…。
本当に、久しぶりだったのです。
我を忘れるほど、何かにのめり込んだのは。
涙を流すほど、何かに心揺さぶられたのは。
私がまだ少年であった頃、感じやすい性質であった頃は、よく慣れ親しんだあの感覚。
感情の抑制を、精神の防御を身につけるに従って遠く離れて行ったあの感覚。
それが、あの時の私の全てでした。
『海賊と呼ばれた男』。
出光石油の創始者出光佐三。劇中では国岡鐵造と表現された男の人生。
その一端に触れた時、万感が胸中に迫って、そして、私は我を失いました。



これは、国岡鐵造の物語です。
そしてまた、日本という国が国際的な立場で石油エネルギィを獲得する物語でもあります。

彼は、石油がまだエネルギィの主流ではなかった頃からその価値に目を付け、それこそ裸一貫で戦前、戦中、戦後を通して、石油とがっぷり四つに取り組んでいきました。
様々な障害があり、様々な挫折がありました。
様々な勝利があり、様々な栄光がありました。
そしてその中にあってひと際映える、国岡鐵造という男の人格がありました。
 
私には、正直に申しまして、石油について、今日かまびすしいエネルギィ問題について、なんら詳しい所のない人間です。ですので、この観点から本書を分析する事は出来ません。
ですが、たった20数年とはいえ生きてきた人間として、ミスター・クニオカから受けたものは、けっしてけっして、小さいものでは御座いませんでした。

ここには、彼という一個の人格を浮かび上がらせる様々な―――枚挙に暇ないほど沢山の名エピソードがあります。
少年の頃の気付き。
親元からの独立。
五里霧中の学生時代。
生涯のパトロンでありもう一人の父親たる日田との出会い。
初めての勤め先。
旧友からの罵倒。
独立そして国岡商店の設立。
寺小屋のような教育。
目映い水面を走る海賊時代。
融資をめぐる…まるで禅問答のような、銀行社長との会話。
他国石油会社との満州での鬩ぎ合い。
石油スタンダードとの国際舞台での斬り合い。
上海。
そして戦争という化け物との戦い。
敗戦。
圧倒的宣誓。
ラジオ会社としての看板。
いつまでも語りつがるべき…タンク底での石油さらい。
復権を遂げてゆく国岡商店。
バーサス石油統制会社。
バーサス国際石油メジャー・セブンシスターズ
冒頭にも上げた…最も美しき決断、イラン石油。
魂の震えた、10か月での製油所完成。
代替わり、バトンタッチ。
そして次代へ。

そこには、国岡鐵造がいました。
信念を持った人物、超能力者のような人物、大教育者たる人物、禅問答のような人物、挫折した人物、立ちあがった人物、妻を娶った人物、妻と別れた人物、只の一人も解雇しなかった人物、常に常に日本を見据えた人物、巨大な人物…
多面的で、巨視的で、頑固で、清廉潔白で、先陣を切り戦い抜いたその人格は、ただただ、私を圧倒しました。


…このような空疎な言葉をどれほど並べても、仕方がありませんね。
しかし、そろそろ内に納めるのも限界だったんです。
何を伝えようとしたわけでもない、何がなんだかわからないこの文章。
どうしようもありませんね。

ただ、私は本書に触れて、涙した。
ただ皆様に、本書の存在をお伝えしたかった。
ただそれだけ。
ただそれだけすら全うしかねる程度の私ではありますが。

『海賊と呼ばれた男』

きっと生涯、折に触れ、本書を読み返し、国岡鐵造にお会いしたくなるのでしょう。
この巨人から、厳しく、優しく、お叱りを受けたくなる。
そんなことではいけないぞ、と。

そう、思うのです。

読了。
再読多数。